灰谷健次郎さんの一冊。
彼はとっても厭世家。
資本主義を嫌い、合理主義を忌み、
今の教育を嘆く。
そんな彼が淡路島で送る自給自足の生活がきれいに描かれている。
「優しさ」や「いのち」という言葉が頻繁に目の前に現れる。
コンクリートと拝金主義に囲まれている都会では、優しさを感じる余裕がない。
物質主義は人と人との間にするすると入り込んで、絶縁体となり、それぞれを孤独にする。
日本という恵まれた国に生まれ育った私達。
なんて幸せや喜びを感じる力が衰えてしまったんだろう。
なんて不幸や悲しみ、寂しさばかりを捕まえることが上手くなってしまったんだろう。
その一方で、他人の不幸や悲しみにはとても鈍感になったようにおもう。
他人のことはどうでもいい。
悲しいほどに、自分の幸福ばかりを追求してやまない。
町を歩いていると、みんなせかせかと、怪訝そうな顔をして歩いている。
カンボジアの町を歩いていると、目が合っただけで微笑んでくれたことを思い出す。
日本人だから、ということもあるかもしれないが、それ以上のものが新興国にはある。
それでも、新興国に住みたいとは思わない。
おそらく拝金主義も合理主義も、私には染み込んでいるから。それが普通だから。
でも、この本のおかげで「気づく」ことに敏感になれた気がする。
優しさやいのちを感じること、自然に触れること、いろんな存在に生かされていることに、
敏感になれた気がする。
ひとは生かされているんだよね。